お米には1粒ごとに神様がいるというのがマンダラ(たぶん)
子供の頃、ごはんを残すと叱られた。もちろん、お米をつくるのには、お百姓さんの手が88回(だったと思う)もかかっているからというのもその理由の一つなんだけれども、お米の一粒一粒に神様が宿っているっていうのもあった。世の中、そんなに神様がたくさんいたら、人間より多いんじゃないかとも思うけれども、それはそれで神様ってすごいなあ、と思ってしまうわけだ。神は細部に宿るのである。
マンダラは密教のものなので、神様ではないのだけれども、菩薩の類がびっしりと描かれている。中心に主要な菩薩がいて、周辺にいくほど小さくなり、数も増えるという構成だ。無限に小さくなっていくのであれば、有限のスペースに無限の菩薩や如来を入れることができる。まさに、細部が拡大したものと同じ形をしているフラクタル図形そのままだけれども、実は世界そのものを記述するための一つの幾何学としてフラクタルがあるわけだから、マンダラもまた世界を投射した図とも読み取ることができる。そういえば、フラクタル図形の次元は2次元や3次元などではなく、小数で表せたりするものだっけ。2次元と3次元の間に神は宿るのかもしれない。
とまあ、それはそれとして、マンダラの構造はこうしたフラクタルな世界におけるマトリックス、すなわち縦と横が交差する行列の構造である。そのマトリックスの中に、さまざまな意味を見出し、それを空海が持ちこんだ密教の思想・世界観として、解き明かしたのが、本書ということになる。例えば、基礎概念として「人」や「モノ」、「空間」、「時間」、「社会」などを示し、これをマトリックスとして交差するところに、例えば「人」×「人」であれば「生活」、「人」×「モノ」であれば「...
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